普通おばけ
幼い頃から男児としては女の子っぽかったからか「変だ」とか「“普通”じゃない」「おかしい」となじられることがありました。なじられるのがイヤで大人たちに話しても「おまえが“普通”にしていれば、何も言われないんだよ」と言われる始末。なので小学校に上がる前にはすでに自分が“普通”じゃないことに恐怖心をいただき、“普通”ということにこだわるようになってきました。

「“普通”のこだったら、こーなんだろうな~、だったらこうしなきゃ」みたいな。“普通”を演じられたら良かったんですが……いや、良くはないか……。いずれにしても幼い頃のウチは周りの言う“普通”にはなれなくて、もう少し大きくなると“普通じゃない”ことにステータスを感じるようになるんですね。「“普通”とか面白味がない」「“普通じゃない”自分カッコイイ!」みたいな感じで。

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でもそれでもなんとなーく綻びがでてきちゃってて、結局は“普通”に囚われてたんでしょうね。名付けて“普通おばけ”って感じで。「男の子なら“普通”はこう」「女の子なら“普通”はこう」「“普通”の人なら…」だけじゃなくて「トランスジェンダーなら“普通”は…」「ストレートなら“普通”は…」「夫婦なら“普通”は…」いろんなものに“普通おばけ”って取り憑くんですね。“普通”のゲシュタルト崩壊ッ!!

今現在普通おばけに取り憑かれていないかって言ったらそうでもなく、自分の中の“普通”を自分の中で実行している感じかなと。そう考えると「その人にとっての“普通”を他者に押し付ける」ことが苦手なのかも。いろいろ思うけれど“普通”って奥が深いw