ゲイの友人と「セクシュアリティやジェンダーに振り回されなかったか」という話で盛り上がりました。振り回されるというか、ステレオタイプの型に変にはまろうと……的な。
ゲイの友人の場合は思春期の頃に「異性愛者の男性」と同じように女性に興味を示さなければならない!と思っていたようで、ゲイと自覚してからも「ゲイなんだから、ゲイらしくしなきゃ!」というのが一時期あったようです。
個人的には「ゲイらしく」ってなんだ?って感じなのですが、やっぱりそういうのはどこの世界にもあるみたいですね。
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私自身、男子時代はやっぱり「男子なんだから男子らしくしなきゃ」ってのはありました。次に自身の性への違和感を自覚してからも「性別に違和感を持っているのなら」という枠組みで自分を懲り固めてました。そしてトランスジェンダーやトランスセクシュアルって言葉を知ってからも「それらしくあらなきゃ」という思いもありました。
でもそれって結局、どれも自分を押し殺してることには変わりなかったと気付くのにはちょっと時間がかかりましたね結局はセクシュアリティやジェンダーと自分らしさっていうのは別物なんだという基礎なんだけど、なかなか埋もれがちな結論です
ちなみにAセクくんはそんなことはなかったみたいで、あまり共感はなかったようです。セクシュアリティやジェンダーで懲り固めてしまうのも個人差のようです。
すぐに指標がナイカラネー
自分が許せる範囲や楽しい範囲が
どこまでか自分で確かめるしかない
なんにせよ
反対の性として生きる訳だしなー