放浪息子アニメ
『放浪息子/志村貴子 著』全15巻

今回はアニメの方のレビューという名のただの感想を書きたいと思います。

まぁ、作品自体の内容は原作とほぼ変わってないので、感想っていう感想はないんですが……(笑)

※以降ネタバレを多く含みます、未視聴の方はご注意ください




あらすじ

女の子になりたい男の子・二鳥修一と、男の子になりたい女の子・高槻よしの。

小学校で出会い、お互いの秘密を知った二人は、共通の悩みを相談し合えるかけがえの無い存在になっていた。そして、季節は春。中学校の入学式を迎え、着慣れない制服の感触に戸惑いながらも、新たな生活に期待と不安を募らせる二人だったが、ツメエリを着て登校してきた女の子・更科千鶴の姿に目を奪われて――。(アニメ第1話)

アニメでは中学生編から

原作では小学校からはじまり中学校、そして高校卒業まで行きますが、アニメではそうもいかず、小学生編を飛ばして(冒頭にプロローグ的な感じであったり、途中に回想的なシーンはある)中学生編からスタートして中学2年の中盤までのお話です。

全12話なので、結構端折ってる部分やエピソードが前後してる部分もありますが、ほぼ原作通りです。

ただこれはあくまで個人的な意見なんですが、最後の終わり方が結構気になるというか、原作の同じシーンとは相違があるというか……まぁ、それが放浪息子の漫画とアニメの感想を分けて書こうかなと思ったきっかけだったり。

キャラクターの性自認

原作では割りと二鳥くんの揺れ動く感情だったりもそうですが、どことなく(明言はしてないけど)性同一性障害を臭わせるニュアンスがあったり、作品全体を通して二鳥くんたちの性自認はあやふやに描かれてます

それに対して、アニメ終盤では二鳥くんの気持ちは性別違和的な部分や揺れ動く性自認的なニュアンスよりも、男性的なニュアンスの強さが感じられました

つまり性自認は女性(もしくは女性寄り)で体は男性だけど女性の装いをする=性別違和による異性装的な思考なのに対して、性自認は男性(もしくは男性寄り)で体も男性、だけど女性の装いをする=異性装者と意味合いが結構変わってくる感じです。今日の私、なんだか難しいコト言ってますね。

でもこれは母も同意見で、アニメ序盤が原作よりも性別違和的なニュアンスが強かっただけにちょっと驚きました。

なんとなくアニメの方は「女の子になりたいけど、男の子として生きていく」的なそんなニュアンスが強くあり、アニメの最終回のエピソードは原作の中学2年生の文化祭にあたるものですが、アニメオリジナルに追加された台詞やシーンは、「どんなに可愛い二鳥くんでも、男として成長する」と言われているような。

そんな「男としての成長」を二鳥くんも認めてる感じ。

でもこれは私が元男子だからそう見えてしまうという部分が強いと思います。

アニメでの表現

原作にないアニメでの表現と言えば動きや色、声なんだと思います。

アニメ放浪息子はそのあたりもこだわりを感じていて、アニメにしてはとても珍しい原作のような水彩画タッチ二鳥くん役に現役の男子中学生を起用するあたりも、見ていて面白いと感じます。

個人的には瀬谷くんの役が物語途中で声変りをするのですが、声変り前→声変り途中のいがらっぽさ→声変りほぼ完了の演じる声優さんってすごいなぁって思いましたね。

アニメではうまく完結に導いているので、アニメからでも原作からでも、どちらから見ても面白いと思いますし、あれだったら、原作と見比べてもいいんじゃないでしょうか。

あとオープニングとエンディングがこれまたいい!

まとめ

『放浪息子』という作品に触れて、改めて自分の青春時代を振り返ったり、もっと早くにこの作品に触れていたかったとも思ったり、そのぐらい面白い作品です。

フツーに生活してきて悩んだり、考えたりすることのない『性別』というジャンルを、作中の二鳥くんや高槻さんは、それだけで強みだと思います。

私自身、悩んでるときは辛いですし、全部がヤんなる時もありましたが、それらをひっくるめて今、これほどの強みはないかなと感じてますし。

よくこの手の作品で「一般向けではない」みたいな書かれかたをすることがありますが、こういう作品こそ、今まで「性別」というジャンルを考えたことない人に、単なるファンタジーや男の娘作品と思わず見ていただきたいなと思います。