ストーンウォールの反乱
今日は『ストーンウォールの反乱』について。ザックリ言うと、当時のLGBTsの人たちが初めて警察に反発した事件。……これだとザックリすぎるので、少しだけ詳しく記しますが、本当にたくさんの逸話、出来事があったので、とても語りきれないので、詳しくは各々で調べてもらえると助かります。

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当時のニューヨークはソドミー法(ザックリ言うと同性同士の性交渉を禁ずる法律)やらなんやらで、ゲイ&レズビアンたちは肩身が狭く、迫害の対象でした。※「ゲイ&レズビアンたち」と表記していますがドラァグクイーンやバイセクシュアル、トランスジェンダーなども多くいました。また「LGBT」という言葉も浸透していなかったようです。

そして「ゲイバー」では警察による点数稼ぎやいやがらせに近い踏み込み捜査が連日行われ、ゲイ&レズビアンたちは危険と隣り合わせだったそうです。

1969年6月28日の夜。

ゲイタウンではゲイ&レズビアンたちの悲しみに包まれていました。当時多様な性に理解を示す数少ない有名人で、彼らからも絶大な人気と心の支えだった存在の『ジュディ・ガーランド』さんが亡くなり、近くの協会で葬儀が行われたからです。葬儀の後、悲しみと想いを語り合うために彼らはゲイバーに集まりお酒を交わしていました。そんなとき事件は起きました。

ゲイバー『ストーンウォール・イン』に警察が踏み込み捜査をしたのです。今まで不当だと思っていても、暴力を振るわれていても、屈辱的な言葉を吐き捨てられても、何も抗うことをしなかったゲイ&レズビアンだちが、この踏み込み捜査についに怒りを抑えられなくなりました。

「ヘアピンの落ちる音が世界中に響き渡った」

ビン、レンガ、石、1セントコインなどが飛び交い、それはもう『サイクロンが通った』と言われるほど。本当にすさまじいものだったらしく、この反乱をきっかけにゲイ&レズビアンの権利獲得運動が各地で活発化し、そして『ストーンウォールの反乱』1周年を記念して6月の最終日曜日にプライドマーチを行いました。それが今日に続く『プライドパレード』になります。

ザックリ言うとそんな話し。もっともっといろいろな経緯や逸話があるから本当に各々で調べて欲しいくらいです。そして、6月は『プライド月間』とか6月最終週を『プライド週間』と言って、世界的もプライドパレードやイベントが集中して行われる期間でもあったりします!

今でこそプライドパレードはお祭り要素も強くなりましたが、プライドパレードの参加するしないに関わらず、こういったプライドパレードの始まりを知っておいてもいいのかもなって思います。さて4コマ内でも本文中でも言っている『ヘアピンの落ちる音が世界中に響き渡った』ってなんぞやと思う人もいると思うので簡単に説明。

ストーンウォールの反乱を伝える当時の新聞記事の見出しの一文が元なのですが、それがストーンウォールの反乱そのものを表現する言葉になったみたいです。で。なんでヘアピン?と思うかもですが、これには諸説あり、「ヘアピンを落とす」というのがゲイの暗喩だったとか、反乱のキッカケがレズビアン(トランスジェンダーだったという説もある)だったからとか、本当にドラァグクイーンがヘアピンを警察に投げつけただとかいろいろ。

ただ他の見出しでも『女王蜂』『queen(「女王」と同じ単語だけど意味は「オカマ」という意味)とprincess』と表現したり、実際にさまざまなメイク道具が飛び交ったという記事もあったり、ゲイ&レズビアンたち関連のニュースには女性的な表現方法するのが主流だったのかな?と思ったりいろいろ。

ただ本当に当時、ストーンウォールの反乱の注目度は低く、まさに「ヘアピンの落ちる音」程度のことだったかもしれません。でもそれが今日の世界各地のレインボープライドに繋がっていると思うと『ヘアピンの落ちる音が世界中に響き渡った』は、とてもステキな表現だと思います。

またこの出来事は映画にもなりました。あくまでもストーンウォールの反乱をベースにという感じなので史実とは若干の違いがありますが、反乱のことを知るには良いと思います。そちらも是非!