ブルーボーイ事件
昔、こういう事件がありましたよっていうお話。詳しくは各々で調べた方がいいくらい、濃厚で大きな爪痕が残る事件ですね。

ちょっと補足をすると、優生保護法は現在の母体保護法で、性転換手術は現在の性別適合手術です。当時は多分「性同一性障害」や「性別違和」なんて言葉もなかったと思います。※性転換症や性倒錯症はあったみたいです。「ブルーボーイ事件」知ってる人もいるかも知れないんですが、一応どんな事件か簡単にご説明。

まぁものすご~く簡単に言うと「性転換手術をした医師が逮捕、有罪になった事件」です。……この言い方は簡潔に言いすぎて語弊がありますね……決して間違いではないんですが……。この事件を簡単に言おうとすること自体が間違いなんですけどね……ちゃんと説明をすると……売春の取締りを課題とした当時の警察は、性転換手術(現・性別適合手術)をした戸籍上男性の男娼の取締りに頭を悩ませていたそうです。※戸籍が男性だと取り締まりにくかった

そこで何を思ったか「元を断つ」という発想から「性転換手術をしてる医者を取り締まればいいじゃん!」的な結論にたどり着き、1965年、性転換手術を行っていた産婦人科医が麻薬取締り法違反と優生保護法(現・母体保護法)違反により逮捕、1969年に有罪判決。

※「母体保護法」は決められた範囲外で生殖をダメにする治療はしちゃダメよっていう法律。性転換手術(性別適合手術)はもちろん、睾丸摘出手術やホルモン治療もこれに引っかかることもあるらしい。

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この判決によって世間では「性転換手術は違法」という認識が強まり、結果、日本国内の性同一性障害(性別違和)・性別移行に対しての医療行為・法整備の遅延、当事者の自殺増、世論の認識不足が広まった事件。「ブルーボーイ事件」を説明するにはここまでしないと伝わらない気がします。正直、これでも足りないくらい。

この事件がきっかけで日本で性別適合手術を行う医師が減り(いても「闇」と呼ばれる)、治療が受けられない当事者が急増。治療できない苦しみから自殺する人が増え、話では数万人とか……。

また日本での治療が遅延してしまったために、性別適合手術をしに海外へ行く人も増えたり。同時期の1970年代から1980年代にヨーロッパ諸国やアメリカやカナダのほとんどの州で法的な性別の訂正を認めていることから、いかに日本のトランスジェンダー/性別移行事情が遅れていたかが分かるかと思います。

この事件の怖いところは、産婦人科医が有罪判決を受けたのに対して、被害者不在な部分(別に性別適合手術をした人が被害届を出してるワケではないので)。さらにこの事件を知らない、または名前だけは知ってるという精神科医がほとんどという点も怖い。

この事件後、1998年に埼玉医科大学が性別適合手術(SRS-FTM)を行うまで日本国内においては正式な性別適合手術を行われなかった。

それに対し、その間、諸外国ではスウェーデンでは1972年に、ドイツでは1980年に、イタリアでは1982年に、オランダでは1985年に、トルコでは1988年に、法的な性別の変更を認めています。※条件は各国と地域でさまざまです。※日本では2003年に正式に戸籍の性別変更が認められるようになった。

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それを考えると、トランスジェンダーや性別移行をする人に対しての医療行為の遅延は計り知れないなぁと思いますね。また、この事件の判例を元に現在の「ガイドライン」を作成されてます。なんかブルーボーイ事件の判例が元になってるって聞くと、今のガイドラインは古い!見直すべきだ!っていう人の気持ちも分かります。「この事件と性別違和に対する医療行為は分けて考えるべきだ!」とする人も多いです。

なぜ私が今「ブルーボーイ事件」を考えているかというと、発端はウチが以前、「ブルーボーイ事件があるから、医師たちも積極的になれない」と聞いたのをふと思い出したことからなんですが、医師たちが消極的・慎重的なのも、戸籍の性別変更が認められるようになったのに、医療行為に進歩があまりないのも、なんとなく分かった気がします。

私もまだまだ勉強不足だと感じてしまいますね。せっかくなんで、こういった歴史を考えてみるのも悪くないですね。歴史の授業は苦手でしたがwあ、ホントにここでは説明出来なかったり、見解が違ったりするので、詳しくはググッてね