追憶と踊りながら


あらすじ

初老を迎えたカンボジア系中国人のジュン。
 
ロンドンの介護ホームでひとり暮らしている。彼女の唯一の楽しみは、息子のカイが面会に来る時間だった。
 
カイは自分がゲイで恋人リチャードを深く愛していることを母に告白できず悩んでいたのだ。
 
そんなある日、カイが交通事故で突然この世を去ってしまう。
 
孤独なジュンを心配したリチャードは、カイの“友人”を装ったまま、ジュンの面倒を見ようとするが…。
 
▼映画『追憶と、踊りながら』予告編▼


感想

『追憶と、踊りながら(原題:Lilting 中国語:轻轻摇晃)』は、2014年のイギリス映画です。監督はカンボジア生まれでロンドンで活躍するホン・カウ。
 
初老を迎えたカンボジア系中国人のジュンは移住民で中国語は話せるが、英語が話せないため、老人ホームでの暮らしに孤独を感じてた。そしてそんな孤独の原因を作った息子カイの“友人”リチャードが許せなく感じている。
 
ジュンとリチャードはともに共通の最愛の人を失ってはいますが、ジュンは言葉の壁があり孤独を感じ、リチャードは恋人であることを告げられないという、近くにいるのにすごく遠い距離感。
 
この距離感を表現するのに通訳を使ってるのは面白い表現だなと感じました。紆余曲折あって通訳者ヴァンを介して会話するのですが、それがまぁ煩わしいのです。例えば、リチャードとカイやリチャードとヴァンは英語同士の会話なので、会話のテンポも意思の疎通もポンポンとできてしまうし、軽いジョークなんかもササっと出てくる。それができないという煩わしい演出が絶妙な心の距離感を表していてすごく面白なと感じました。
 
ラストのそんな通訳も言葉の壁も関係なくリチャードとジュンが言い争いは必見でそれまでどこか心の距離を感じてたのが一気にゼロ距離のぶつかり合いは必見です。

追憶と踊りながら03
映画『追憶と、踊りながら』より

母ジュンの背景

最愛の人を失った悲しみを描いた作品はLGBTQ作品もたくさんあって『ナチュラルウーマン』ではパートナーの死を受け入れらず幻影を追い、『シングルマン』ではパートナーのいない生活に絶望して後追いを考えたりと悲しみの描かれ方も様々です。
 
関係性は違えど同じ人物であり最愛の人を失ったという点は映画『彼が愛したケーキ職人』にも描かれていますが、本作の場合、一方(この場合亡くなったカイの母ジュン)が相手に対して敵意を持ってるということでしょうか。
 
詳しく作中で描かれることはなかったですが、カンボジア系中国人でイギリスに移住して、さらに故人の夫はフランス系のカンボジア人だという…植民地時代だとかポルポト政権だとかを彷彿とさせます。詳しい文化の違いや歴史は分からないのですが、作中の通訳者ヴァンのセリフから「頑固者」が多い世代なのかなと感じました。
 
そんな頑固者の母は、直接描写はないものの息子カイは自身がゲイで同性の恋人がいることを打ち明けられないシーンを見ると、同性愛に否定的……というよりも異性愛規範なところがあるのかなと思いました。
 
ラストは自身の息子がゲイであることを知って、彼を縛り付けてたのは自分だったと気づくのですが、残念ながら異性愛規範なところは変わらず、リチャードがゲイだと知ってもなお「あなたも親になればわかる」は残酷だなと思いました。
 
追憶と踊りながら01
映画『追憶と、踊りながら』より

まとめ

言葉の壁と心の壁をリンクさせる演出は見事なものでした。本来、通訳を介しての会話なんて第三者から見えれば、じれったいものでしょうがないのですが、それを演出として取り入れるのはお見事です。
 
さらにこの作品は言葉の壁がある代わりに「におい」も大事になってきます。あったかいひだまりみたいなジュンの母親の香り、あじさいのにおいを嗅ぐカイ、ベッドで恋人が胸元へ顔を寄せ確かめるように匂いをかいでいたのを思い出し涙するリチャード。なんなら口臭が原因でケンカするシーンも出てきます。においって記憶に直結するらしいですね、まさに追憶とつくタイトルにぴったりの演出だと思いました。
 
あと本当に憎々しげに眉間にしわを寄せた頑固者なジュンの演技となんとかして恋人の母の思いに答えたいけど恋人としての意地もあるリチャードの演技が、妙にコミカルでそれでいて大切な人を失った悲しみまで表現されているのが良かったです。
 
追憶と踊りながら02
映画『追憶と、踊りながら』より
 
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