よく「社会的に作られた性別」で性違和を感じる人は性同一性障害ではないんじゃないかと言われますが、私はそんなことないと思います。ちなみにここでいう「社会的に作られた性別」っていうのは「女性はスカートを履く」「男は外で働いて、女は家事をする」とかそんなの。あくまでも例えばのお話。
「スカートを履きたいから、女の子になりたい」「専業主婦になりたいから、女性になりたい」みたいな。私はそこまでは考えなかったのですが、女性として「可愛い格好したい」と思っても変じゃないし、女性として「夫を支えたい」と思っても、全然変じゃないと思うんですよね。
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私自身の話をすると男子時代は別段スカートを履きたいという感情はなかったですし、働くことも好きですが、だからといって「社会的に作られた性別」に困惑しなかったワケではないです。
「男なんだから髪を短くしなさい」「男なんだからメイクをするな」「男なんだから男らしい格好しなさい」私はどちらかというとこっち方面に悩まされました。これも「社会的に作られた性別」ですね。
性同一性障害は「こころとからだの性別が一致してない」って言うからややかしくなるのかな?それに付随して社会的性別がマッチせずに生活困難なことも充分性同一性障害の弊害と言えるので、違和感の度合いがからだの性別<社会的性別でも性同一性障害と言えなくもないと思っています!