あらすじ
学校で「自分の夢」を教室で発表した9歳の美少年アレックス。クラスメイトから冷やかされてその夢を封印。さらに両親を事故で失い自分を取り戻せなくなって青年になった彼は、夢を叶えた幼馴染のエリアスと偶然再会。エリアスに触発され、忘れかけていた自分の夢に向かって進むことを決意する。それは、男性であることを隠しながら「ミス・フランス」コンテストに臨む、という自分自身を取り戻すための挑戦でもあった…。
▼映画『MISS ミス・フランスになりたい』予告編▼
『ミス・フランスになりたい』感想
『ミス・フランスになりたい(Miss)』は、2020年のフランス映画で、ミスコンでミス・フランスという称号が欲しいと願うが自身が男の子であることを理由に一度はあきらめた少年が性別を偽ってミスコンに挑むというストーリー。ミスコンそのものがルッキズムとか女性の外見を商品化していると批判的なことも多いですが、今回はそれを置いておいて、主人公アレックスが長年自身の主張や夢を否定され続けてしまったために、なかなか前向きになれないなか、周囲の助けもあって前向きに、そして自分と向き合う姿に勇気づけられるストーリーとなっています。
物語はシリアス要素もありますが、全体的にコメディ調でアレックスの周りのドタバタやミスコンの裏側などを楽しめる作品となっていて、特にこの手の作品の醍醐味でもある「男とバレたらどうしよう」というハラハラ感もしっかり描かれています。
映画『MISS ミス・フランスになりたい』より
アレックスはトランス女性なのか?
「男の子がミスコンに挑む」と聞くと「トランスジェンダー女性がミスコンに挑む物語」と思われがちですが、『ミス・フランスになりたい』はそういったわけではなく、アレックス本人は女性的ではあるものの「女性になりたいのか?」という質問に対しては否定し、様々なシーンからも性自認は男性だと表現されています。あくまでもアレックスは男性であり、外見や服装などの性表現が女性的で、ミス・フランスに憧れているというだけ。女性になりたいわけでも、性別違和があるわけでも、性自認が女性と言うわけでもないといった感じ。
アレックスを性別違和を抱えているトランスジェンダーだと思って観てしまうと、アレックスの行動に違和感や嫌悪感を感じてしまう人もいるかもしれないけれど、アレックスが男性だと分かった上で見ると納得できるシーンがたくさんあるので面白いです。
そのうえで、「男性がミスコンに挑む」という構図はかなり挑戦的なストーリーだったなと改めて感じました。
映画『MISS ミス・フランスになりたい』より
アイデンティティを否定して挑んだミスコン
アレックスは上述したとおり性表現が女性なだけで、基本が男性です。そんな彼は男性でありながら女性的な言動でからかわれることもしばしば。自分らしく生きようとしても誰かから否定される。そんな彼が長年の夢だったミス・フランスに挑みたいと思うも、やはりはじめは周囲は反対。
それでも、いろんな人の手助けがあって、ミス・フランスの審査をどんどんパスしていきますが、その過程で、アレックスはさまざま嘘をつきます。
名前や家族のことや同居人のこと、中にドラァグクイーンがいることも隠す、パスポートだって偽造する。そして自身が男性であることも隠します。
いろんなことを偽って獲得したミスの座は果たして自分が本当に望んだものなのかとアレックスはかなり葛藤したのだと思います。
そして同居人たちやミスコン仲間に背中を押された形で最後の行動に出たと思うと、ミスコンに挑んでる間はアイデンティティを否定し続ける連続でアレックスにとっては公卿だったのだと感じました。
そういったアレックスの内面を知れることで、ミスコンに挑む本当の意味を感じ取れるのかなと思います。
映画『MISS ミス・フランスになりたい』より
まとめ
本作の男性でありながら女性装をして、水着審査やパフォーマンスもあるミスコンに挑むアレックスという難しい役どころ演じたのはアレクサンドル・ヴェテール。アレクサンドルはジェンダーレスモデルとしても活躍しており、本作が商業映画初主演だそうです。はじめは「トランス女性がミスコンに挑む映画」だと思って観ていたのですが「トランス女性ではなく男性がミスコンに挑む映画」だと気づいてから見ると、いろんな発見があり、アイデンティティだったり、性表現だったりと、イメージががらりと変わる作品で、まさに多様性・ダイバーシティだなと感じました。
男性でありながらミスコンに挑むアレックスの姿に改めてアイデンティティとは?性表現とは?ミスコンの意義は?といろいろ考えさせられます。
映画『MISS ミス・フランスになりたい』より
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この2つってわかりにくいのか、フィクションで公式の許可取ってたところで間違いがあったと確認できた珍しい例を紹介します。
『恋する(おとめ)の作り方』という漫画で、副主人公の日浦(単行本第1巻の向かって右の黒髪の子)について、英訳版第1巻では「日浦が性自認女性のトランスジェンダー」の前提で訳していて、後日「誤訳でしたので再版で直します」って向こうの出版社が謝罪したことが英語版Wikipediaに乗っていました。
(ちなみに英題は「I Think I Turned My Childhood Friend into a Girl」)
第1巻読み直すと、私の主観ですがこの時点だとどっちかというと日浦はゲイで、相手の男に受け入れてもらうために女装っぽい気がしました。
後の第5巻で女装する理由を本人が説明するのですが、「小柄で華奢な自分の体にコンプレックスがあったが、女装すると素敵に成れる。」というもので、「男は男らしいのが〇、女みたいなのは×」という考えが改まったという感じでした。