あらすじ
サムは20年来のパートナーのタスカーを連れて思い出の地や友人たちを訪ねる旅に出ることにした。サムはタスカーと一緒に楽しい時間を過ごせるものと思っていたが、旅を通して「タスカーが全てを忘れてしまう日はそう遠くない将来にやってくる」という残酷な現実を今まで以上に突きつけられることになった。
▼映画『スーパーノヴァ』予告編▼
感想
『スーパーノヴァ(Supernova)』は2020年のイギリス映画。20年の歳月をともにしてきたゲイカップルが思いがけず早く訪れた最後の時間に向き合う姿を、イギリスの湖水地方の美しい風景とともに描いたヒューマンドラマ。サムとタスカーは20年来のパートナーで、タスカーは若年性の認知症を患っており、サムはそんなタスカーを一生涯支え続ける覚悟でいるものの、タスカーは自分が自分でなくなっていく恐怖や愛するサムに迷惑がかかるのではないかと危惧し、死を選ぼうとしてしまう。
タスカーを支え続けたいサムとタスカーに迷惑をかけたくないサム、サプライズパーティーや引っ越し、自然の中でドライブなど2人のやろうとしていることは対極でそれにより2人とも愛し合ってるからこそ仲違いしてしまうのは観ていて辛いものがありました。
終始、どこか物悲しい雰囲気の作品ですが、ラストは2人にとって希望のあるラストだったと思いたいです。
映画『スーパーノヴァ』より
サムとタスカーの生死観
どんなに趣味や嗜好が合う人であっても「生死観」というのは違ったりすることも多いです。それはサムとタスカーも同様でした。サムにとっては「死」というものはどこか遠くの存在で悲しいものというだという存在に対して、認知症のタスカーは永遠にあるかと思われる星々ですら「死」がある。その死はとても華々しく煌びやかなもので、さらには巡り巡って今の自分たちの身になっている…という考え。
タスカーはそれを自分に置き換え、認知症の自分が愛する人たちに迷惑が掛かるまえに華々しく散っていいきたいという考えは、サムにとって到底許せるものではなく、当然衝突してしまう。どちらの言い分の分かるだけに辛いものがありました。
個人的にはタスカーは肉体的な介護サポートという意味でサムが必要なのに対して、サムは精神的にタスカーが必要で、タスカーのいない人生は考えられないと言った感じの対比が辛くて、どうしてもサムの方に感情輸入してしまします。
映画『スーパーノヴァ』より
イギリス同性愛の歴史
作中での同性愛の描かれ方も特徴的で、同性愛差別の被害者であり今のコンピューターの礎を気づき上げたアラン・チューリングを匂わせる演出があったり、同性愛に差別的な政策をしたマーガレット・サッチャーを揶揄する表現があったりと、イギリスの同性愛の歴史を感じさせる構成になっています。そんな歴史を乗り越えたサムとタスカーという構図も素晴らしいですが、サムの親戚の女の子に好きな人がいるという恋バナをしているとき、「どんなひと?」という問いに対して、その女の子は恋バナに照れつつもさらりと「男の人で…」と好きな人のことを語った。
これが「女の子が恋するのは男の子」という今まで概念だったらわざわざ「男の子で…」なんて言わないと思うし、そうわざわざ言うということは、もうその女の子世代では、LGBTQが当たり前で好きな人の性別を聞くまでそれが異性か同性かその他かが分からないことが当たり前なのだと、歴史の移り変わりを感じました。
映画『スーパーノヴァ』より
まとめ
今回タスカーは認知症(若年性)として描かれていました。これまでLGBTQ✕病気を題材にした作品の多くは「HIV/エイズ」が多かったので、今回認知症のゲイとそのパートナーが描かれたのはとても珍しいと感じました。私個人的には、もっとHIV/エイズ以外の病気と向き合うLGBTQの人たちが題材にされてもいいと思うのですが、なかなかそこまでには至らないのが現状です。もっと増えてほしいなあ。
物語はやはり「死」をテーマにしているだけあって、全体的に仄暗い感じですが、観る人が観たら希望のある物語だったのかもしれない……私はラストのサムのピアノがとても物悲しくて、サムからタスカーへの生涯の愛が伝わってきました。
映画『スーパーノヴァ』より
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