「性別の枠なんて拘らない、いらない」 「人間をムリヤリ男女に分けるなんてナンセンス」 「男とか女とか拘らずにもっと自由に生きるべきだ」 「性別でいろいろ分けるから不都合が生じるんだ」
そういった考えは決して珍しくはないと思いますし、こういうブログを書いているので、過去に何度も似たようなお話を聞きました。
気持ちは分かりますw
私自身、何度も性別という枠に苦しめられたので、その枠邪魔だなーとか、なくなればいいのにとも思ったことあります。
でもこの性別という枠に拘ってなかったら、たぶん性別移行してなかったと思うし、性別移行そのものが性別という枠に拘った結果だと思います(性別移行した結果、性別という枠に拘らないという人もいます)
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ゲイの友人も似たような考えで「性別という枠に拘ってるからこそ、性的指向が男性に向いている、性的指向が男性に向いているってことは性別という枠に拘ってる」とか言ってました。
Aセクくんは「性別という枠なんてナンセンスだ」と思っているそうです。
絶対いらない!という強固なものではなく、Aセクくん自身があまり男らしさ女らしさとかに拘らない人で「他者に男らしさとか女らしさとかを押し付けるくらいなら、性別という枠組みなくなればいいのに」という感じらしいです。
Aセクくん自身がよく「男らしさ」を押し付けられるそうです。。。
性別という枠に拘る、拘らない、どちらにしても個人の自由で、それを他者に押し付けることが一番ダメなのかなって思います。
それにしても、セクシュアリティやジェンダーが違うとはいえ、いろんな意見があるって言うのは面白いですねぇ。
この「移民の帰化」はこの手の問題でいい例なのか、アシモフ(とシルヴァーバーグ)の『アンドリューNDR114』で主人公(ロボットとして製造されたが、なぜか人自認<?>があり「人間として認めてもらいたい」という信念を持つ)が、人間として認めてもらうために移民の例を出して「人間に帰化させてくれ」というのがありました。(手元の創元版p.313より)