ウーマン ラブ ウーマン
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作品紹介
『ウーマン ラブ ウーマン(If These Walls Could Talk 2)』は、2000年にアメリカのテレビ映画。
中絶問題を扱った 『スリーウイメン この壁が話せたら(If These Walls Could Talk)』 の続編にあたる作品で、異なる時代に同じ家に住んでいるレズビアンのエピソードを描いている各3話のオムニバス。
各エピソードはそれぞれ違う監督・脚本家により製作された作品で、作品自体高い評価を受けてプライムタイム・エミー賞 作品賞 (テレビ映画部門)にノミネートされました。
各エピソードはそれぞれ違う監督・脚本家により製作された作品で、作品自体高い評価を受けてプライムタイム・エミー賞 作品賞 (テレビ映画部門)にノミネートされました。
ドラマ映画『ウーマン ラブ ウーマン』より
1961年 イーディス&アビー※ネタバレ注意※
第1話は1961年が舞台で老婦人のレズビアンのお話。
レズビアンの描写がある『噂の二人』を2人で仲良く見る者の、レズビアンの描写があると分かった人は退席し、若者はケラケラ笑っている。まだレズビアンがかなり日陰の存在の時代。
差別や偏見はあれど、アビーとイーディスは仲睦まじく暮らしていて、余生を2人で買った家で過ごそうと誓い合うカップル。
しかしアビーが突然倒れ、病院へ。
イーディスがアビーが恋人であること家族であることが言えず、「友達」「同居人」という関係性を主張するほかなく、そのせいで看護師からも重要視されず、結局家族の死に目には会えぬという悲劇。
さらにはアビーと買い暮らしていた家やアビーの遺品を、アビーの親族が持っていこうとする始末。アビーの親族からすると家(アビー名義だった)や遺品は親族が相続するのは当然だけれど、ずっと家族としてカップルとして暮らしていたイーディスは気持ちが追い付かない。
結局、家も遺品も思い出もすべて手放す形になってしまいました。
レズビアンの描写がある『噂の二人』を2人で仲良く見る者の、レズビアンの描写があると分かった人は退席し、若者はケラケラ笑っている。まだレズビアンがかなり日陰の存在の時代。
差別や偏見はあれど、アビーとイーディスは仲睦まじく暮らしていて、余生を2人で買った家で過ごそうと誓い合うカップル。
しかしアビーが突然倒れ、病院へ。
イーディスがアビーが恋人であること家族であることが言えず、「友達」「同居人」という関係性を主張するほかなく、そのせいで看護師からも重要視されず、結局家族の死に目には会えぬという悲劇。
さらにはアビーと買い暮らしていた家やアビーの遺品を、アビーの親族が持っていこうとする始末。アビーの親族からすると家(アビー名義だった)や遺品は親族が相続するのは当然だけれど、ずっと家族としてカップルとして暮らしていたイーディスは気持ちが追い付かない。
結局、家も遺品も思い出もすべて手放す形になってしまいました。
1972年 リンダ&エイミー ※ネタバレ注意※
第2話は1972年が舞台でウーマン・リブ…女性解放運動が活発化している時代。
女子大生リンダはレズビアン同士4人でハウスシェアをしていて、さらにウーマンリブの活動もしていたが、大学での女性解放運動はレズビアンという理由でウーマンリブグループから外されてしまった。
自棄になった4人は近くにできたレズビアンバーに行ってみることに、レズビアンバーと言ってもダイク(男性的なレズビアン)が集うバーで、女性的なリンダ達4人は完全に場違い。
そこでリンダは男装の麗人であるエイミーに出会い、一瞬で恋に落ち、エイミーもまたリンダを良く思っていました。
しかし、男装しているエイミーを他の3人は快く思っておらず、女性であるにも関わらずエイミーを「彼」「男」と罵ります。
そんな同居人たちに腹を立てたリンダは、友人たちを決別しエイミーの元へ向かう決意をします。
女子大生リンダはレズビアン同士4人でハウスシェアをしていて、さらにウーマンリブの活動もしていたが、大学での女性解放運動はレズビアンという理由でウーマンリブグループから外されてしまった。
自棄になった4人は近くにできたレズビアンバーに行ってみることに、レズビアンバーと言ってもダイク(男性的なレズビアン)が集うバーで、女性的なリンダ達4人は完全に場違い。
そこでリンダは男装の麗人であるエイミーに出会い、一瞬で恋に落ち、エイミーもまたリンダを良く思っていました。
しかし、男装しているエイミーを他の3人は快く思っておらず、女性であるにも関わらずエイミーを「彼」「男」と罵ります。
そんな同居人たちに腹を立てたリンダは、友人たちを決別しエイミーの元へ向かう決意をします。
ドラマ映画『ウーマン ラブ ウーマン』より
2000年 フラン&カル ※ネタバレ注意※
第3話は2000年が舞台で精子バンクを利用し、人工授精で子供を授かろうとするフランとカルの話。
子どもが欲しいと考えていたフランとカルは、精子提供をしてくれるゲイとマッチングしてみたり、精子バンクで精子提供をしてくれる人を探したりしています。
しかし、ただ子どもを望んでいるのではなく、ふたりでママになるためにいろいろ考えて行動するものの、どうしても男女のカップルとレズビアンのカップルの壁にぶち当たり落ち込んだりもしました。
相手の子どもを身ごもれない悲しみと、相手に子を授けてあげられない悲しみ。
そんなこんなで苦労もあり、4度目の人工授精で妊娠を確認し、ふたりは大喜びをして幕を閉じます。
子どもが欲しいと考えていたフランとカルは、精子提供をしてくれるゲイとマッチングしてみたり、精子バンクで精子提供をしてくれる人を探したりしています。
しかし、ただ子どもを望んでいるのではなく、ふたりでママになるためにいろいろ考えて行動するものの、どうしても男女のカップルとレズビアンのカップルの壁にぶち当たり落ち込んだりもしました。
相手の子どもを身ごもれない悲しみと、相手に子を授けてあげられない悲しみ。
そんなこんなで苦労もあり、4度目の人工授精で妊娠を確認し、ふたりは大喜びをして幕を閉じます。
それぞれの時代、それぞれのレズビアンカップル
やっぱり時代時代での同性愛の環境を描いているのはすごく良く感じました。1961年では同性愛は笑われ差別される時代、イーディスは堂々を「恋人だ」とは言えずにいますし、相手もまた「二人は恋人だったんだ」と察せないのがもどかしい。
次いで1972年、女性解放運動が活発化している時代は、レズビアンは認知されていてもまだまだ差別はあるし、なんならレズビアンの中でも差別があるという時代背景を映し出してくれました。
男装している女性と好き合っているリンダを見て、周りの友人は「レズビアンなのに男と付き合うなんて」と悪態をつくシーンが印象的で、現在から見ると「男装しているだけの女性なのになんで?」と思ってしまいますが、そういう差別をされていた時代もあったと聞いて驚きました。
そして最後の2000年は、レズビアンであることに堂々としているし、不妊治療で婦人科に言っても医師は協力的だし(1961年と比較すると大違い)、街であった家族のお母さんにも偏見を向けられることはない時代になっています。
個人的に印象的だったのは得たもの失ったもので、1961年は最終的に家も思い出もすべて手放すことになってしまうという結末で、1972年では最終的にレズビアンの友達は失いましたが素敵な恋人を得ることができました。
そしてラストの2000年では、失うものはなく、もしろ新しい命という得るものがあり、この3世代の対比を素晴らしく感じました。
まだまだLGBTQ界隈は不安定だと思いますが、少しずつ少しずつ良い方向に変化していけたらなと思います。
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