BLコミックを読んでると「何気に『ホモ』と『ゲイ』を使い分けてる」という意見を聞きまして。
ゲイの友人曰く「差別的なニュアンスを持たせるとき」「本人が他者に分かりやすく説明するとき」に「ホモ」という単語を使われがちで、
「肯定的なニュアンスを持たせるとき」「本人が自認するアイデンティティなとき」は「ゲイ」を使われがちなんだそう。
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ただ時代背景もあるようで、ちょっと古い作品になると「ゲイもホモも肯定的なニュアンスが少ない」「ゲイという単語もホモという単語もあんまり出てこない」とかなんとか。
また「同性愛を性的嗜好や趣味嗜好」としている作品もチラホラ出てくるらしい。
そんなに数多くBL作品を読んでいるわけではないゲイの友人が言ってるだけなので、必ずしも正解ってわけじゃないと思いますが……どうなんでしょうね?
個人的にはやっぱり時代背景は当然あるだろうけど、ジャンルにもよるんじゃないかなーって思ったりもします。
例えば、耽美を求める作品だったり、ブロマンスが強い作品だったりで結構違いそうだなって。あくまでもイメージです笑



















この辺になると今の男性同性愛と違って、少年愛要素が強いものが多く同年代もないわけではありませんが、年長者と少年という組み合わせが主流になってきます。
(ただし、江戸川乱歩や横溝正史の戦前作品見る限り、「少年」は数え20歳ぐらいでも含まれるようです。 「二十歳ぐらいの美少年」っていうのがちらほら…)
なお、古典の『東海道中膝栗毛』の弥次喜多が知り合った経緯もそれ(遊び人と陰間の男色での交際)という設定になっており、弥次さん30歳・喜多さん10歳の頃に知り合ったそうで。